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2013年6月 4日 (火)

第6回スピーチコンテスト終了

 パブロ・ピカソがキュービズムに移行した頃、色んな人から同じような質問を受けるので、ついに苛立って叫んだようです。

 「人は、小川のせせらぎや風の音、鳥のさえずりを解釈しようとはしない、それを『理解』しようとはしない、どういうわけで、絵に関しては解釈しよう、理解しようとするのかね?」

 ……それは『意味』の有無による、あなたの絵に忍び込んでいる『意味』が、言語を排除した純粋な感動を阻害しているのだ、と解答したのは、さて何という美術評論家だったか? それが誰にせよ、相当な自信家だと思うわけなのですが。

 黒竜江東方学院と日本は新潟の大手語学学校との共同主催で実施された『第6回スピーチコンテスト』が、昨夜終わりました。36名ほどの日本語科学生が原稿を提出し、その中から10人が選抜され、実際に発表を行いました。

 グランプリは、「杜子春」から、人生の教訓を得た、という3年女子。「人は他者の好意や世話によって幸福になることはできない、私は自分の努力で人生を切り開くだろう」という訴えでした。準グランプリは2人で、1人は日本人の先生の部屋を訪問するときに言われる「ゆっくりしてください」をモチーフに、急ぎすぎる現代人の生活に疑問を投げかけました。彼女の郷里湖北省から大学のあるハルピンまでは汽車で26時間の旅。飛行機なら4時間。でも自分は、その26時間の旅のさなか、色々な人と会話し食物を交換し変わり続ける景色を観賞し、そしてハルピンに着いたとき、変わった、成長した自分を発見した。それは汽車だったからだ。……たいへんに胸を打つ発表でした。彼女は準グランプリで大変満足のようでしたが、同じ準グランプリの3年生女子は、大変に悔しがっていました。その人は、「銀河鉄道の夜」を題材に、献身の大切さ、表面的には好まれないものに秘められた本当の価値、について語ったのでした。大変な練習量で、本番1週間前は、朝も晩もずっとそれを語り、録音して聴き、友達や先生に聞かせて意見を貰い、ということをしていましたから、無理ありません。

 私は、自分が採点してつけた得点と実際に発表された順位を見比べながら、自分の評価の「ゆがみ」について再認識していました。

 私は、よくよく、「説教」が苦手な人間のようです。

 「皆さん、こう生きるべきです、こうするべきです、こうしようじゃありませんか、こう考えてみたらどうでしょう」……そういう、説得、説教が、何より嫌いな、ゆがんだ、こわばった心を持つ人間だったということです。そういうスピーチがいくつかありました。中国人の審査員にとってはそういう「説教」が苦にならないのだということも発見でした。それはたぶん、他人の説教によって自分は簡単に生き方を変えないよ、というファンダメンタルが自分の中にあるからでしょう。つまり中国人にとって説教は「風」のようなものなのでしょう。ましてや、評価を待つ発表者は自分よりずっと年下の大学生なのだし。

 説教せずに、「私はこう感じたのです、ゆっくり進んで良かったです、先生から、ゆっくりしてくださいと言われるととても嬉しいです」…まぁそれも間接的には説教的要素を含むスピーチと言えるが…と訴えた湖北省女子の発表は今なお耳に残り……。

 ……あらためて自分は単純な人間だなぁ、と思う次第。

 そんなことを言ったってあなただって33年間教員をしたでしょう、説教したでしょう、と言われるかもしれない。(じじつ、言われた)

 冗談じゃない、私が一貫して行ったのは説教じゃない、「哀願」です。お願いだからオレに恥をかかせないでくれよ、困らせないでくれよ、あんたの人生の問題じゃなくオレの人生の問題なんだよ、という「哀願」です。

 え? そりゃ教師じゃない?

 知ってましたよそんなこと昔から。今更なに言ってるんですか。

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