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2013年5月23日 (木)

人生の終末期を中国文学翻訳者として生きる

 中国の街頭にはよく古書を商う露天が出ます。歩道に板を置き、上に書籍を置きます。莫言さんから村上春樹、魯迅から有名な女流小説家、三毛、映画になったダヴィンチコード、などというのもあります。完全にとりとめがないのであります。そして古書店ではありますが商われているのは本当は誰にも手に取られたことのない本です。本屋さんに書籍が流れるその流通以外の経路をたどって入手された本でありましょう。そして、全部に値札が付いておりません。ついていても意味がありません。ウラに「48元」と書いてあっても、売り子さんに「ドゥシャオ?」と問うとごくごく適当に「10元」とか「15元」とか言います。見かけとページ数、場合によったら重量で値段を付けているようです。値切って値切れないことはないのでしょうが、ノーベル文学賞をとった小説家の作品が「紅高●(リャン)家族」はじめ主要8冊、1冊(分厚い)に入って、それで10元(160円)とか言われると、それを値切ろうという気になれません。ただし、中国語であります。

 日本人は、莫言さん以外の作家をたぶん知らないでしょう(魯迅みたいな歴史上の大家を別にすれば)。しかし、たとえば孫●(比叡山の叡の字の旁をとったもの。エイ)さんのように、若くてとても面白い文章を書く人がいます。

 「楊樹林が薛彩雲と離婚したとき、子どもの楊帆はまだ3ヶ月の赤ん坊だった。どちらの養育とするかを決めるのに、離婚調停に立ち会った管財人は頭を悩ませ続けた。夫婦の財産は合わせて377元しかなかった。……この中には17毛の預金利息を含んでいる……楊樹林は、『子どもはオレが育てる』と宣言した。理由はその、よく発達した乳房だ、と妻に言った。いぶかる妻に彼は言った。『いいか、栄養をとらないとその乳房から乳は出ない。乳のでない乳房を見たら赤ん坊は泣くだろう、失望のためだ、オレの乳房を見ろ、ぺったんこだ、道路脇の歩道のようにぺったんこだ、赤ん坊を失望させたりはしない、大人は梅干しを想像して喉の渇きを癒すことが出来る、しかし赤ん坊は乳房を見て、火のついたように泣くことしかできない。それで子どもは、オレが育てるんだ。」

 私が自力で訳しました。時間さえかければ、そして3年生の成績優秀者の手助けさえあれば、たぶん1ヶ月あれば短編の1つぐらいは訳せます。

 小説は題名を『僕はあなたの子どもだ』といい、作者はまだ30歳そこそこです。中国人は全く知りません。わりと読書が好きです、今読んでるのは徳富蘆花です、という成績優秀者でさえ、孫●さん? 誰ですかそれ? と、私に聞きました。そのくせ、芥川龍之介の作品を10個あげてください、村上春樹の作品で「羊」にまつわるものはいくつかりますか? と聞くと、ずらずらっといくつもの答えが返って来ます。

 私はあと12ヶ月で日本に帰りますが、ささやかに『翻訳』を続けて自分の楽しみとしたいと思います。

 なぜ・・・中国の若者は自国の作家のものを読まないのか?

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