« 中国の回線事情……ふと不安を感じるとき | トップページ | 人生の終末期を中国文学翻訳者として生きる »

2013年5月21日 (火)

日本語には文法なんてネェよ

 文法学者といわれる人の中には、もちろん立派な方が沢山、沢山いらっしゃいます。私が高校の国語教員といしてたった33年ですけど仕事をすることができたのはその方々のおかげでも、あります。

 でもそれとは別に、矛盾するようですけど私は文法というものに不信感を抱き続けておりました。

 日本語文法って本当にあるのか?

 格助詞と副助詞の分類は当たり前のようにやりましたけど、どうして「は」が副助詞で「が」が格助詞なのか、どんな生徒にもわかるように説明する技術と知識が私にはありません。それは私の脳味噌の欠陥が理由の99%を占めてますけど、残り1%は日本の文法の不備であります。何を説明しようとしても例外がついてまわる。

 「良い」は形容詞で「いい」も形容詞です。ところがこの「いい」には終止形と連体形しかありません。相変わらず、議論がはじまります。「これは形容詞じゃない、連体詞だ。活用しないじゃないか」「いえ違います。「良い」の語幹が、終止形と連体形に限って音韻変化したものです。」

 ……議論があるということ自体、文法的整理には問題があるということです。

 「大を、ダイと読むのとオオと読むのはどう違うのですか?」

 「ダイは漢語に付きます。大工事、大伽藍、大誤算、大規模、みな漢語です。それに対して、オオは和語に付きます。大間違い、大喰らい、大仕事、……みんな和語です。」

 生徒「そうですか。私、先生のこと大好きですけど。」

 ……。

 生徒「大掃除は、和語ですか、漢語ですか?」

 ……。

 「御」をオン、オと読むとこれは和語に付き、お葉書、お手紙、お仕事、となります。ゴは漢語について御馳走、御心配、御看護、御鞭撻となります。飯(ハン)も漢語ですから御飯となります。

 当然これにも例外があります。それも無闇にぎょうさんあります。「お便利」がそうです。そうすると、この例外にも、いや呉音だ、漢音だと規則をつけたがります。

 例外があるということはその文「法」はあやしい、ということです。文法と堂々と呼称するなら、あのコソアド系のようにすきっとまとまっていないといけない。

 しかし、このなにやら例外が多くて困りものである日本語文法に則って、N1の試験問題が作られる。

 困った生徒は試験対策本を持って押しかけてきて……。

 帰ろっと。ブロッコリーの奥へ。

« 中国の回線事情……ふと不安を感じるとき | トップページ | 人生の終末期を中国文学翻訳者として生きる »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/589238/57429383

この記事へのトラックバック一覧です: 日本語には文法なんてネェよ:

« 中国の回線事情……ふと不安を感じるとき | トップページ | 人生の終末期を中国文学翻訳者として生きる »