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2013年5月31日 (金)

通りすがりさんのご指摘から色々なことを思い出し、考えること

 二つの、忘れられない失敗があります。両件とも、私は抗議された方に深く謝罪し、ブログを閉鎖いたしました。

 男女関係の問題について、あれこれ書き散らしている時でした。恋愛のしにくい時代だ、ということを私は書き、つい言葉が過ぎました。「……ある種の男は女を愛することをあきらめ、男を愛して生きようとした・・しかしそれらの男達を、ある国の社会制度は決して許そうとしなかった」、そういうことを書いたのであります。すると、全く知らない方から、コメントがありました。「同性愛者は、男を愛することを『選んだ』のではない、そのような生き方をするものとして『生まれた』のだ、あなたの発言は看過できない」というものでした。コメントには続いて、「ぼくらのサイトに来て記事を読み、勉強してください」とありました。私はそのサイトを訪問することはせず、(自分が間違ったと言うことを知れば充分なのだから)謝罪し、即時ブログは閉鎖しました。

 ある、たいへんに博識で多彩な(音楽と語学と専門知識)人を知っていました。調律の狂ったピアノがあったらそのキーを使わなくていいようにその場で半音移調し、弾いてしまうというとんでもない人でした。(フランスのコンセルパトワールにいた、とそれだけで、どんな人かわかる)その方の配偶者はドイツ文学の研究者で、夫婦げんかになると夫はドイツ語でまくし立て、奥さんは奥さんでフランス語で(相手が理解してもしなくても)怒鳴り返し、……という、おもしろいお話しを直接、うかがったのでした。

 私はつい、ブログに書いてしまいました。もちろん、人物が特定されないようにきわめて『一般化』しながらですけど。そして、更にいけないことを書きました。

 「そりゃまるで、普仏戦争ですねぇ。」

 彼女は、どんなにあやまっても、許してくれませんでした。私がブログを閉鎖すると、更にそのことについても(私の安直な逃避)怒りました。

 結果私が勉強したことは、単純なことであります。

 無自覚な言葉はしばしば発信者が気づいていない暴力性をおび、時に遠くまで行き、自覚された暴力的な言葉よりはるかに深く深刻に、ある人を傷つける。

 私は同性愛者を差別しておりません。それどころかその方々がいなかったら、デザインや芸術といった分野で私達はとてつもなく味気ない思いをしたことだろうと思う。そして、フランスの音楽学校に留学した経験を持つ女性とドイツ文学の研究者というカップルの知性に、深いあこがれと敬意を感じています。

 だからこそ、傷つけたのです。

 このブログは、ごくごく親しい人と家族に、生存報告のつもりで書いております。ほとんどの人は私のメールアドレスを知っていますし、コメントでなく直接連絡してくれます。しかし最近になって、知人でも家族でもない方が訪問してくださっている、読んでくださっているのかもしれない、と思うようになりました。それらの方を私は知らない、知らないからこそ、傷ついておられるのかもしれない、そういうことであります。

 通りすがりさんの「この人はこのブログの大ファン」なのかもしれない、というご指摘は色々な受け止め方があろうと思いますし私は私の経験とそれから持っている貧しい言葉で解読するしかない、ただ基本的に、通りすがりさんの、思いやり、のようなものを感じることが出来ました。ありがとうございました。(間違っていたらお許しください)

 顔も名前も知らない、ある人。

 意外と、もっとも「近くにいる」のかもしれません。

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