« 真面目な人に国語教師は無理 | トップページ | 中国の連休、大道芸を展開する人々 »

2013年5月 4日 (土)

村上春樹という現象? ブーム? 風潮? それでいいじゃないですか

 書籍というものは、ファッションで売れたりするべきものじゃない、という論があるのだそうです。

 読者は、ある風潮に「乗せられて」人気のある作家の話題の本に手を伸ばしたりするべきじゃない、という論であります。

 非常な違和感があります。他の全ての趣味・嗜好物がそうでありますように、特定の著者がこよなく好きだ、という人も、実はじっくり考えて選んだのじゃない、どの作家がよいかそれまでの生活体験言語生活体験をベースに熟慮して「よし、山本周五郎を読むぞ」と、決断したわけではないのであります。

 書籍とは、そして著者とは、ある日偶然に「出会う」のであります。読書活動だけじゃない、ゴルフだってテニスだってスキーだって木工だってバイク乗りだってカーレースだって考えて選んだりはしませんでした。「出会った」のであります。私の子どもは上から順にソフトボール、陸上、最後の1人が野球とサッカー、という運動競技に馴染みましたけれど長女のソフトは小学校時代の担任が専門だったからです。真ん中の1人は、吹奏楽でトランペットを吹いていたのを、駅伝の選手が足りないというときに駅伝の監督から「トランペットを吹くなら心肺能力あるだろう」と見込まれ、むちゃくちゃな理由で駅伝を「やらされた」のであります。まるきり専門外だけど走ってみたら10キロやそこらは走れちゃった、それで何となく中長距離を走るようになった、といういささか変則的な「出会い」が経過でありました。でも他の人だって大なり小なりそうであります。最後の子どものスポーツにしたって友達に誘われたとか身の回りの人がみんなやっていたとか、そんな理由であります。ある日じっくり考えて「よし、スキーにしよう」と考える子どもはいない。気づいたらそれに没頭していた、そんなものであります。

 読書は特にその傾向が強い。両親が読書好きだったとか夜寝るときにいつも親が物語を読み聞かせたとか貧乏でテレビの買えない家だったので仕方なく活字に手を伸ばしたとか(我が家だ)そんな理由であります。もちろんカウンター作用もあります。私の母は私にまぁ一定の読書習慣をつけてくれましたけれど困ったことに白樺派という、「人間の本性は本来良い物である」という間違った人間観察(と、私は思っている)にもとづく創作行為を続けたグループの書籍を私に写させたりした。だから私は白樺派の作家は大嫌いであります。人間の本性というのはダークでどろどろで人間本来の殺人衝動加害衝動自己損傷癖閉鎖的傾向自閉欲求誇大妄想がかたまってできているそれが人間であります。母には悪いけど小学校2年生の当時考えた「人間てのは本当に自分で良くなろう立ち直ろうとしつつ人生を送るのか?」という疑問はずっとくすぶり続けており、それがために白樺派の対極にあるような小説家ばかり親しもうとしたのであります。村上龍の「イン・ザ・ミソスープ」の殺人者は決して反省せず小説が終わった後もきっと殺人を続けるに違いない。でもフランクの「自分はいつか人殺しをする、この恐怖から逃れる唯一の方法は実際に人を殺すことだったんだ」なる衝動は間違いなく私の中にあります。その著者・著作に私は「出会った」のだ。母の白樺派強制が反対の極に私を向かわせたのであります。これだって「出会い」だ。

 もちろん白樺派をすばらしいと思う人もいる。

 ファッション? 風潮? ブーム? 現象? 何でもいいですけど、書籍に出会うきっかけに、それがなるならいいじゃないですか。そういう現象が必要だと、私は考えております。自分の頭で考えて自分の人生にフィットする書籍を自律的に選ぶ事なんて、普通の人にはなかなか、出来ませんてば。

 それはお前がさぼっただけだ、オレはちゃんと考えて選んでる、という人が昔、いらっしゃいました。社会科の先生で骨の髄からシステム化しているような男性で小説なんかより難しい社会科学を読むのが教養人の読書態度だ、そしてオレはそれを「選んでいる」、お前の言うのは間違いだ、そういうことであります。結局は現在のアナタの仕事や周囲の状況が(けっこうな大規模な思想グループの一員だった)その種の書籍を「必要とさせている」のだろうと思いましたが、こういう人との議論は不毛なので私はその場で土下座し、話し合いの場から退出いたしました。

 私が村上春樹氏を好きだから言うのではありません、坂口安吾だって太宰治だってなんでもいいのであります。風潮、けっこうじゃないですか。ファッション、それで書籍を手に取るきっかけができれば最高じゃないですか。極端なことを言えば、2歳半の子どもの手を引いて書店に入り、「さぁお母さんは何も言わないからね、アナタのいいと思う本を、誰にも影響されないで選ぶのよぅ」そのお母さんの行動は、無理、であります。なぜなら、それにしたってその本屋さんにある書籍ってのは全世界の書籍の何万分の1かであるに過ぎない、からであります。

 村上春樹さんであれ大泉洋さんであれ誰であれブームになればよい、私はそう考えるものです。

« 真面目な人に国語教師は無理 | トップページ | 中国の連休、大道芸を展開する人々 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

あいかわらずマヌケなことを。カリフラワーに棲む蟲はカリフラワーを世界だと思っている症候群。抜けてないなぁ。その典型的なサンプルだよ。これまで人前でべらべらと放言してメシが食えていたから世界は俺のために耳傾けて待っていると刷り込まれたのだろう。そんな駄弁あなたのまわりの同じく抜けた腑抜けみたいな人たち以外誰も聞いちゃいないさ。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/589238/57308331

この記事へのトラックバック一覧です: 村上春樹という現象? ブーム? 風潮? それでいいじゃないですか:

« 真面目な人に国語教師は無理 | トップページ | 中国の連休、大道芸を展開する人々 »