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2013年4月27日 (土)

映画「バベル」再考

 男子1名、女子1名、私の部屋に食材を持って来訪、1時間ほどかけて45品の料理からなる夕食をつくってくれました。

 せまい台所なので野菜を切ってしまうと男子のほうはやることがなく、フランス語で『かけがえのない人』という意味になる発音の女子をしきりに呼びながら「まだなのかよ、腹へったよ」「マーシャン。先生としゃべってなさい」みたいな会話するしかやることがない。しかし片付けは男子の担当だったらしく、実に大量の皿を彼は食事後きれいにあらい、そこまでしなくていいというのに台所をぴかぴかに磨いてくれました。

 恋人のこと(2人とも恋人はいない、作る気もない)、早朝5時半に起きてランニングと体操を強制されることのつらさ、夜9時にはもう眠くなり勉強の時間をどう確保するかということ、なにより毎晩故郷にかける電話で母が何を言ったか、父が何を言ったか。

 私は61歳、顔面のある種の分泌線が制御しにくくなっており、何度かトイレに立って顔を洗わないと会話を続けることができませんでした。トイレから帰ると会話は新しくなり、なんで日本人はトマトを加熱しないのかとか、一度ドラマで日本の野菜を見たが本当に茄子やキュウリはあんなに小さいのかとか、そんな会話をいたしました。日本のドラマは大変な人気で、私が※※も△△も見たことがないというと大変に意外そうな顔をします。

 彼らが840分、それぞれの寮に帰ってから、彼らが座っていた椅子を長いこと見つめておりました。

 「バベル」という映画を昔みたな、と思い出しました。

 天に届く塔を造ろうとしたが失敗した人類に、神はある罰を与えた。

 部族ごとに、言葉をバラバラにしたのだ。その結果、人類は意思の疎通に悩むことになった。

 そりゃ逆だろう。そりゃ悩みじゃないだろう。

 コミュニケーションというのは、同じ言葉を話し、機械的に意味を交換して終わりというものじゃない。

 単純に「あなたの作ったこれがおいしい」というコトを伝えるのに全身全霊をフル稼働させ、集中的な努力をすることだろう。

 そして、自分の言ったことの何が伝わり何が伝わらなかったのか、それを死ぬまで考えることだろう。

 言語が違うとき必然的にそれは大きなものになる、とすれば彼女が嬉しそうに頬を赤くするそれもまた、コミュニケーションというものだろう。神は言葉は違えたが感受性までは変えなかったじゃないか。

 だから、私はいつも思います。彼らがこのアパートを出て行った後、さて自分たちは何語で会話したのだろう? 思い出さないのです。中国語? 日本語? 英語? 筆談?

 コミュニケーションというのは言葉の違いで難しくなったりするものじゃないのであります。もしかしたら、同じ言語であるからこそ難しいこともあるのかもしれない。

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