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2013年4月 5日 (金)

私は勉強しません、という生徒の訪問を受けること

 とつぜん、1人の生徒がやってきました。教師の住む公寓に生徒が出入りするにはまぁ簡単なものですけど管理人さんのところで写真つきの身分証を預ける、来訪目的を簡単に口頭で述べる、というような『手続き』があり、直接単身でやってくる、というケースは普通ありません。少なくとも私の部屋に関してはありません。

 「私は成績が悪い、すぐに忘れます、だからねぇ、先生たちは私のことが嫌いです、だから勉強しません、日本の先生誰も私と会話しません、授業中私は遊びます」

 持参のアーモンドと中国名物のごく小さな柘榴の実(よほど歯が丈夫でないと食べられない)を盛んに食べながら盛大に涙をこぼし、一切の見解と解決策を私に要求しないで、寮の門限が近づくと「それでは私が帰ります」と言って帰って行きました。

 たしかに成績は良くないが最下位というわけではありません、それなりの理解力はあり、たぶん7月のテストでも再試験という羽目にはいたらないでしょう、ただただくだんの生徒さんは日本人の先生と仲良くしたい、他の生徒達のように買い物をし映画を見、たわいのないおしゃべりをしたいと思っているだけなのでした。

 中国には偏心という言葉があります。誰がどういう局面で使うかでいろんな意味を持ちます。私は、双方の(私を入れれば3者になる)『偏心』について、思いをめぐらしました。愛されないから勉強しないのだ、と自らの偏心を合理化するくだんの生徒と、懸命に勉強してコミュニケーションを図る生徒とそうでない生徒と双方に対する日常の応対に違いが生ずるのは当然だ、そもそもそれは偏心というにはあたらない、と言う(だろう)日本人先生との間の距離感が氷解する日は永遠に来ないかもしれないと思いました。

 問題は中国に生まれおそらくはそこで死ぬ、そして、おそらくは留学も日系企業への就職もしない、という19歳にとって、日本語がどのような意味を持つのかということなのだろう、と考えました。搭乗ロケット発射を半年後に控えた宇宙飛行士は誰とどのような関係がそこにあろうが愛されていようが憎まれていようが必死で、それこそ全身全霊をこめて情報を吸収しようとするだろう、それを勉強と呼ぶなら、勉強の対象に実質的な意味があるかどうかだ。

 本日の来訪者には、それが「ない」のが不幸なのだろうと思いました。

 勉強について聞きたいわけではないようなので、私はその人と簡単な『遊び』をしました。私の部屋にあったごく簡単な楽器で単純なメロディーを聞かせ、その題名を当てさせるのです。

 ……「天空の城です」

 ……「大海嗚呼故郷です」

 歌いなさいよ、と私は言い、演奏(とは言えないものですが)を続けました。

 「ショシホウ、ママドゥイウォージャァン……私は忘れます」

 忘れましたというのが正しい、と言おうかと思いましたがやめました。

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