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2013年3月15日 (金)

私を福山雅治にしてください

 必要なことですけど、そんなの無理じゃん、とあきらめて、ないし開き直って背を向けていること。

 「教師というものは人間的魅力が無いといけない」ということであります。

 むつかしい。背中に羽をつけて空を飛ぶほうがいくらか可能だ。

 今あらためて、性格も顔もいい人になりたい、と思うのであります。もとより無理でありますが、そう思うには相当の理由がありまして。

 私たち日本人教員は教科書を朗読してパソコンに入れ、MP3ファイルを作り、それを生徒全員に配布します。朗読ファイルは超有名作品の場合は……川端康成とか、芥川龍之介とか……ちゃんと市販のものがありますが、「暮らしの中の和と洋」とかいった教科書のためのエッセイなんかの場合は市販されていません。

 しかも中国で購入する教科書であります。

 アパートで盛んに練習しながらMP3ファイルを作るのはたやすいのでありますが、それを聞いて日本語の練習をするのは生徒であります。

 そんな朗読ファイルをUSBスティックの形で渡されて、「月曜日には朗読・発音テストやるから練習してきなさい」なんて言われたら苦痛だろう。

 人間なら誰にだって好き嫌いあります。たとえば私が中国で日本語を学ぶ大学生だったとする。「月曜日にはテストやるからこの、先生が読んだ朗読ファイルを5回再生して正しい発音を身に着けていらっしゃい」と言われたら、考え込んじゃいます。

 それが、吉行和子さんや島本須美さんだったら100回でも200回でも聞く。

 しかし嫌いな奴の声なら、金輪際聞く気なんかしないだろう。昔私にむかって、「小説なんか読むな、社会科学の本を読めよ」なんて言った馬鹿社会科教師からだったら、そんなの聞くどころかUSBを受け取るのさえ、いやだ。

 成績は最悪だろうが、かまわない。嫌いなものを好きになることはできない。そして声というのは、やっかいだ。嫌いな人間の声を聞いてどこの誰が発音なんか自分で矯正できる。

 かくして、私は中国に来て半年、自らの「人間的魅力」という壁に突き当たるのであります。

 ううう……ごめんね日本語科のみなさん。

 どこかに、飲めば顔と性格が福山雅治になる薬、ありませんか。無理なら西田敏行まで妥協しますけど。

 日本で高校教諭を退職するとき、私は3分以上の退職挨拶はしない、と決めていましたけど、「いまとりわけ礼を言いたいのは、私を『嫌い』だった人に対してだ」としゃべりました。

 好きなものの言うことなら苦痛なく聞くことができる。しかし嫌いな奴がそこでしゃべり、黒板に書き、あろうことかあるまいことかテスト問題を作り、採点し、成績までつけるという。それをみんな受け入れないと卒業できない。それに耐え、協力した人に対して、いま感謝する。

 ……なんのことはない、自分が中学、高校と、そうだったからであります。

 そんなわけで。

 福山さんになる薬は……

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