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2013年3月29日 (金)

ハルピンに自販機が林立する日

 ブログへのコメントではなく、直接にメールを下さるかたがいらっしゃいます。「ある種の書き込みには、反応しないで下さい、無視して下さい」という趣旨です。その方のおっしゃることはわかるし、そのほうがまっとうなのだろうと思います。私自身は(というかほとんどの方は)「来てくれ」と言われてもいないのにのこのこと無関係な人のブログを見に行って、「何か意見を言ってくれ」と言われてもいないのに書く、というようなことはいたしません(なさいません)。

 どんな言葉を使うかというのはその人がどんな人間であるかという問いの答えであり、つまりその人というのはその人の「言葉」であります。私という存在は私が使う「言葉」によって深くしっかりと規定されております。いらない場所へ行っていらない言葉をばら撒く、そのような行動に反応しないでくれというのは適切なアドバイスとして聞かないといけません。

 私以外のどなたかが侮辱されたのではない限り、私はそうしたいと思います。

 さて、ハルピンでバスに乗るのは1元、どんなに遠くへ行っても1元、15円であります。時として、1時間を越えるバス乗車となる事もありますが、それでも1元。

 頻繁に席を譲られます、どう見ても60過ぎのオジンだからしようがない。またハルピン市民はお年寄りには必ず譲ります。そして、ありがたく辞退しても、断固として「座れ」といって聞きません。

 見ていると、席を譲られるお年よりは何かしらの会話を、若い人としているようです。

 「席を譲ってくれてありがとうね、あなたは、どこまで行くんだい?」

 「製糖研究所までです」

 「うわぁ遠くじゃないか、やっぱりあんた座りなさいよ」

 「いいえ、なんでもありません」

 そのような会話です。ちなみに「なんでもありません」はメイシー、「没事」であり、人間生活の場ではひんぱんに耳にします。ちょっと荷物を持ってもらって礼を言うとメイシー、商店で買い物を終えて別れの挨拶をするとメイシー、であります。

 席を譲る、その会話ってのは日本の若い人にとって苦手だろうなと思います。というか「席を譲る」というのがすでにコミュニケーションです。コミュニケーションというのは自分自身があらわになる場面であり、その緊張に臨むのは短時間でも覚悟が要ります。日本ではほんの少しのコミュニケーションも自我の発露の場としてしんどいから、コンビにはマニュアルを整備しジュース会社は自販機を林立させた。

 ハルピンで考えます。

 コンビにはありますがマニュアルはないようです。自販機はもちろんありません。ジュースを飲みたいと思うと、店に入っていって「それをくれ」と言わないといけません。日本人にとって苦手であることが中国人に苦手でないわけがない、ということは、やがてこの町にも自販機が林立する日が来る?

 それが合理的であるなら、そうなるような気がします。ただまぁ、何かしら……。

 ……どのような言葉を使うか、が「その人はどんな人物か」の答えだ。

 つまり私は単純な思考もようまとめ得ない、散漫な人間でありました。おあとがよろしいようで。

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