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2013年3月 4日 (月)

なおも「主語の問題」について

 北海道砂川市に在住の方から、ブログの開設についての情報を頂ましたが結局アクセスできず、大変に残念で御座いました。もう、とてもとても残念で、そして申し訳ないのでした。

 ここをクリックしてブログ開設の情報を得てください、という意味のボタンを押すと、ざぁっと化けた文字が画面上に並びます。別のパソコンでは、「無法提示」という文字がそっけなく出てきます。ただし字は中国語ですけど。これはつまり、あなたの情報を画面上に出す技術が物理的に存在しない、という意味です。

 学校の回線を使わなければ良いのか、と思い、すべてを日本で言うとWIFI(中国でどういうのかわからない)で処理している人のパソコンでやってもらったのですが、やっぱり欲しい情報は画面に再現できず。

 そういえば私にメールをくれる人のサフィックスはヤフーとニフティが主で、グーもホットメールも1通も来ません。不思議といえば不思議です。いくらなんでも私だってそこまで友達いなくありません。

 どっかで消えてるのかもしれないですね。

 まぁそれはそれとして。

 3年生の日本文学選読で、いま坊ちゃんの授業中ですけど、「主語」の問題について中国人学生がどう考えているか、ぜひぜひ知りたいです。

 たった2冊ですけど、良かった金谷先生の著作を読んでいて。

 来客にお茶をいれ終わった家の主人は客にどういうか。

 日本人はまずまちがいなく「お茶が入りました」

 中国人は?

 欧米人は?

 山のてっぺんについた登山者が言うのは、「ついた」

 まちがっても「私たちは頂上についた」とは言わない。

 中国人に聞いてみると、「ダオラ(到了)」だそうだ。「我」は不要だそうだ。

 アメリカ人は、「Here we are.」だろう。「私たちはここにいる。」

 上空からの、神の視点からの観察があり、「私たちは」「ここにいる」という文が成立するという意味のことを、金谷先生は言う。そしてどうしても、有名な「君が好きだ」の問題が続く。中国人でも、ここは主語を省略しない。「我愛汝(字は違う)」となる。英語は論を待たない。

 3年生の中にはもう留学先を決めている者もいるし、留学そのものが決定している学生もいる。それらの人に私は、「あなたがどういうマインドの人間になるのか、どういう行動様式の人に変身するのか、ぜひ知りたい、自分でも確かめて欲しい」と言い続けている。

 言葉とはつまりその人の存在、それ自体だ。そういったのは村上龍であります。

 東京に留学する外国人が日本語になじむにつれ、「I」という主語を使わなくなり会話が静かになり行動が控えめになる、そうおっしゃったのは金谷先生であります。中国人も、留学したばかりでまだ中国人同士で群れているときの会話のやかましさったら、ない。わぁわぁぎゃぁぎゃぁ、自分たちだけの世界で盛り上がり周囲にまるっきり関心が無い。私も何度となく目撃した。ひんしゅくというより、「すげぇなこの人たち」という目で、東京の地下鉄の客は見ている。

 「我」が会話を、ことばを、つまり自分という存在をリードするのだから当然といえば当然だ。

 思い出すことがある。インドを旅して、1週間がたったとき、「I’m~」の多様が身に付いた私はふと、日本じゃこんな言い方は絶対にしないな、と身にしみて感じた。半分は自分への驚き、半分は反省。

 しつこいしつこい、リクシャ乗りの勧誘を断るとき、私の言ったのはこうだった。

 「私は、2本の足を持っている! 君はそれを見るべきだ!」

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