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2013年3月11日 (月)

3月11日に考えること

 1年生の教室で。

 「今日、311日という日は私たち日本人が決して忘れてはいけない日です」

 何人かの生徒が、ああ地震ですね、と応じてくれました。私は一瞬、それがどれくらい大きな出来事だったかを伝えようかと思いましたけれど、とても日本語を習い始めて半年の人に理解させる修辞能力はないと自覚し、それはやめました。

 でも、考えました。

 大きな事件に接し、私たちはいやおう無く考えさせられ、考え方の枠の変更を迫られます。

 日本人の考えかたを根こそぎ変えてしまうような出来事というと、私はまずこの東北大震災、19951月の阪神淡路大震災、それから3つ目が19973月から5月にかけておこった神戸連続児童殺傷事件、そして4番目がオウム真理教の教祖と信徒による一連の事件だと思っています。とりわけ神戸の事件と東京の地下鉄の事件については、私たちが信じる、ないし信じていた、信じようとしていた市民的安定とか日常の脈絡とかいったものが「脆弱」なのではなくもともと「存在していなかった」ということを教えたという意味で、人類が月へ飛んだとかいうことをはるかに越える歴史的転換点だったと思うのです。そして。

 そういうときにいち早く行動をおこすのが創造する仕事をする芸術家というもののはずだ。

 とりわけ、文字で現実世界に立ち向かいその混沌と切り結ぶのが使命である作家が、それ以降も安閑と自らの組み上げた古臭い日本的共同体とワタクシ、というパラダイムに自閉し続けたのは醜悪だ。私はそういう作家を決して「作家」と認めない。ワタシにはワタシの世界と私の手法がある、というのかもしれないけど、これだけの事件に接してなおパラダイムから出ないのは、単なる精神的気絶だ。

 ふたりの村上姓の作家をはじめ、何人かの文章表現者は果敢に立ち向かい偉大な作品を残したが、あんたは何をしたんだ、といいたくなるような作家も多いし、発言した人の中にも、大江健三郎や吉本隆明みたいに、自分は大作家だから何かを言わんといかんが実は驚きあわてるだけで何も浮かばないのだ、という精神状態が見え見えの人もいた。それ以降も全く「文字はあるが世界とは切れている」作品からしか芥川賞をえらべなかった文藝春秋社にも、大きな疑問と絶望を感じている。

 ……そんなことを、今日は考えました。

 いつになく怒っております。なき人を追悼する日なのに。

 雪解けのハルピンで、多数の生徒の目の前で派手に転んだからでは、ありません。

 ……おお痛て。

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