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2012年12月23日 (日)

中国的お買い物事情バイオリン編

 ハルピンに来た当初、やたらと停電しました。断水もひんぱんにありました。困ったことに、予告のある場合とない場合がありました。断水・停電両方にです。人によっては「予告のない場合はすぐに終わります」と教えてくれ、また自分もそう信じているようでしたが、予告無しの停電が24時間続く事もありました。

 初めのうちは、停電か、おお懐かしい、日本も昭和30年代は、とかうそぶいておりましたが、たちまちそんな悠長な印象を抱いたことを反省しました。

 ハルピンの夜は無茶苦茶に長いのです。まずは緯度の関係でしょう。10月でも、もう午後4時には部屋に灯りを入れて不思議のない暗さになります。朝も日本の北海道と比べて随分に明るくなるのが遅いです。午前7時でも居間に灯りが必要です。

 24時間の停電となると何にもできません。台所はオール電化なのでご飯も炊けずおかずも作れません。買い置きのパンにバターをなすりつけてレタスをちぎって載せ、もさもさと喉に押し込むぐらいの芸当しか思いつきません。パソコンもできず風呂も入れない(ボイラーが動かないから)。そして私はお酒というものを飲みません。従って夜が異様に長い。誰だったか、名前をど忘れしたのですが、某文化人類学者が、「物語というのは夜の暗がりに向き合う人間の不安から誕生した」と言っていたのを思い出します。狩猟採集時代、夜の暗がりは即物的な危険や人間の想像に基づく魔なるものに満たされていた。人は車座になり、物語を語ることで別な世界を共有した。想像世界の明るさを分かち持つことで暗がりの『魔』に対抗した。

 ハルピンではともに物語を語るにんげんの仲間がそもそもいない。いてもみんな酒を飲んで乗り切っている。

 どうしたらいいんだ、と思っているとアパートのどこかから、あの切なげな二胡の音が聞こえてきます。

 おおその手があったか、と思うのですけど、楽器の種類はどうする? どうせなら日本に持ち帰れるものがいい、二胡はコンパクトでいいが、ニシキヘビの皮が張ってあるものを日本に持ち込もうとするとわざわざ北京まで行って証明書を貰う必要がある。ギターもベースもかさばる。ピアノを置いたらアパートの床が抜ける。

 いろいろ考えて、バイオリンだ、という結論に達したのでした。初心者でも2オクターブ半は出せる。コンパクトでよろしい。ギターよりずっとサイズが小さいのに最低音はギターと半音3つ分しか違わない。そして弦が4本しかない。マシンヘッドもないから軽い。

 1年の授業で通訳をしてくれている劉さんについてきてもらって、アパートから114番のバスで1時間10分、地段街へ。ここは楽器屋さんばかりがえんえん連なっているのです。適当に3軒くらい飛び込みましたが、夜中に音を出しても迷惑のかからない無音バイオリンを置いている店は1軒しかありません。革ジャンパーを着た、あまり商売げのないお兄さんにその日は挨拶だけをして帰りました。革ジャン兄貴よりもっと商売気なさそうな店主のおじいさんはバイオリンが専門ではないらしく二胡で『四季の歌』を聞かせてくれました。私も懐かしさに思わず「春を愛する人は、心広きひと♪」なんて歌ってしまったのでありました。

 その店で買うことに決めて、2度目の訪問。

 「サイレントバイオリンを安く買いたい」

 「今、店に3台あるがどれも高い。1500元からだ。バイオリンならこれにしろ。350元だ」

 さ、さんびゃくごじゅうげん? 値切る前から? 見てみるとハードケースに入ったしっかりした製品で、ニスはしょうしょう薄めの塗りだけどとてもとても日本円にして4500円とは思えないのでありました。私の着ているシャツ1着分じゃん。

 中国ではりっぱなバイオリンが弓もハードケースもロジンも肩当てもついて、シャツ1着分。

 ひえぇ。

 「それは具合悪い。音の出るのはやめる。初心者の弾くバイオリンはそばにいる人の健康に悪いと、かの清水邦夫も書いている。」

 「誰だそれは」

 「劇のシナリオを書く人のことだ」

 「日本にも演劇があるのか」

 「そりゃあるよ」

 「やっぱり三国志演義みたいなものか。さもなくば項羽と虞美人とか」

 「ちょっと違うね。バイオリンに話を戻して、サイレントバイオリンの価格のことはこの大学生にしてくれ」

 ……この時は時計のときのように30秒とは行きませんでした。30分はかかりました。私の希望価格は500元で、まぁそこまでは下がらないだろうと思っていたのですが、800元までなんとか彼女は交渉してくれましたが、そこから先がなかなかでした。私は彼女に、

 「日本から中国へ来る知人には、楽器は全部ハルピンのこの店で買えという、そう言ってください」

 「それはもう言いました」

 「私は2年間ハルピンにいる。2年間、楽器が必要になったら全部ここで買う。そう言ってください」

 「それももう言いました」

 ……結局彼女は600元までがんばってくれました。たいしたものです。大喜びで購入し、私たちは握手をして別れました。

 家に帰って試弾してみましたが、とても600元とは思えない製品でした。弦はもちろんガットでなくスチールで、(ガット弦はセットなら7000円ほどします。バイオリン本体と同じだ)弓もちょっとおもちゃみたいでしたが、ハードケースはしっかりしているしちゃんとした肩当てもついている、ロジンはちっちゃいけどどうせそんなに大量に使うもんじゃなし、なによりピックアップから出てくる電気信号が立派。アンプにつないで少しエコーを効かせたりというずるい使い方も出来ます。なにより薄い木の板を共鳴させるバイオリンだとアパート中の顰蹙を買うこと間違いなしだしこっちにもそんな覚悟はないが、この無音バイオリンにはその心配がない。

 ほぼ毎日、このバイオリンを弾きます。

 イタリアで、350年前に出来た瞬間に完成形となり、それから今日までほとんど変わっていないという、おそるべき楽器は、たしかにそれなりのものがあるようでした。たった4本の弦で高音域はどこまでも広い。そして、なぞってみると、『里の秋』『ふるさと』『荒城の月』『月の砂漠』『叱られて』のような名曲が、なぜ名曲なのか、よくわかりました。下から順にG、D、A、E、という完全五度の配列は西洋音階の曲を演奏するのにものすごく適しているのです。

 600元。日本円にして7800円。やっぱり中国、おそるべし。購入したのは117日ですから1ヵ月半、遊びましたが、いっさいの不具合、ありません。どんどんこの楽器が好きになります。この調子だと例の地段街のお店で、ガット弦を買って、ウッドベースのガット弦を買って、こんどは音の出るバイオリン(つまり胴のある)を買って、弓を買って……。

 ……仕事は、いつするんだ?

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