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2012年11月28日 (水)

日本語について考える

 日本語に主語はいらない、という説に共感した上で、あらためて日本語とはどんな言語なのかと、考えてみます。

 書店へ行って、日本の文学作品の中文訳を手に取ると、そのあまりの薄さに驚きます。紙の質や装丁で書籍が薄く仕上がっているのではありません。(それもわずかにはあるが)とにかく、日本語と中国語の、1字あたりの情報量の違いです。圧倒的に中国語のほうが、1字あたりの情報量が多い。村上春樹『1Q84』は、日本では3分冊で出版されていますが、中国語に訳されたものだと、その1冊の厚みに、3冊分が全部入ってしまいます。

 じゃぁ英語との比較をしてみるとどうか。

 With the birth of so many boys, my mother,an only child,was rapidly in over her head. She made us competitive and full of high jinks.

 あまりに多くの男の子が生まれたものだから、一人っ子で育った私の母は、早い段階で子ども達をコントロールしようという意思を放棄することになった。結果的に母は私たち兄弟を運動神経の鋭敏な、競争心旺盛な子ども達に育てることになった。(ジム・ロジャーズ「投資冒険家のバイク紀行」)

 ……明らかに日本語のほうがスペースを多く必要とする。単純な英文でも日本語に直すと、作者の気分や意図を忖度して多くの言葉を付加(いやおうなく!)することになる。

 中国語なら、たとえば「佐藤与平日不同今天話語不多」。13文字だ。

 日本語なら、「佐藤さんはいつもとは違って今日はあまり多くを語ろうとしなかった」。倍以上にのびる。

 ……もしかしたら日本人とは、言葉のニュアンスをとっても大事にしてきた民族なのではないか。「草坪進入厳重禁止的」と書けば、そりゃ意味はわかる。しかしこの看板のこころが、「芝生への立ち入り厳禁」なのか、「芝生へは決して立ち入らないようにお願いします」なのか、中文の9文字は伝えきらないだろう。区別しないだろう。

 ついつい、自慢する気になる。

 I am a cat, got no name yet.

 吾輩は猫である。名前は未だ無い。

 もしかしたら描写を突き抜けたところに、日本語の伝達能力はある? それは小説に限らない。

 「お茶が入りました」。

 すばらしい! 奇跡としか思えないほどすばらしいではないか。「わたし」は出ては引っ込む。引っ込んでは出る。そのニュアンスを余すところ無く伝えるために日本文は長くなる、どこまでも長くなる。

 「言葉とはつまりその人自身である」といったのは村上龍だ。

 ということは日本文の複雑怪奇さはそのまま、日本人の複雑さである。

 明日も真面目に日本語の授業しよっと。

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コメント

こうやって比べてみると面白いものですね
相手に伝えたいことを気持ちをのせて正確に伝えられる言語なんでしょうね。
改めて日本語の素晴らしさを感じました

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