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2012年11月22日 (木)

自分の父を侮辱されて怒らない人はいない~石原発言で思うこと

 こんな80歳になるなら、長生きなんかしたくない、しんじつ、そう思うのであります。

 中国になめられている? 韓国の暴言を許している? アメリカのメカケ? まぁ、作家にしては言葉の使い方が汚いと思うのでありますが、ゆがんだ目には状況はそう、見えなくもないかもしれない。私は日本で生まれて日本で死ねることを誇りに思う国粋主義者でありますから、アメリカの男メカケ、という言葉を同じ日本人が使うとカチンと来るのでありますが、まぁしようがない、1960年の安保締結からずっとそういう人がいて、それを放置してきたんだから。

 今夜は私はたとえ1日に3人しか見に来られないブログであっても言いたいことを言わないと眠れないので言うのですけど、もし今、中国と韓国と、そのほかいくつかの国に『なめられている』としたら、それは他国との交戦権を持つ軍隊を持たないせいではありません。石原は軍備についての考え方がなっちゃいないから(つまり憲法9条があるから)諸外国になめられるといいたいのでしょうけど、断じてそれは違います。憲法を改正して自衛隊を交戦権をそなえた国軍にしたって、同じようになめられます。もっとなめられます。もし、「なめられている」のが事実だとしたら、膨大な赤字国債を発行しないと国家予算も組めないような税収の急減の中でそれでも少子化に歯止めをかけることが出来ず遠からぬ将来破綻するに違いない社会保障制度をどうにもできないでたった1つの不要な特殊法人をつぶすことさえできず今なお町村みたいに日本中にコンクリートを垂れ流せば国力が増強するというアナクロニストの総裁選出馬を許しそれを強要する亡霊のような経団連をのさばらせ今がどんな時代なのか日本人自身に絶対にわからせないそれがまさに『仕事』のように意味のない報道をさも大事なことのように垂れ流すメディアの現況を許しているからです。

 早く言えば。

 政治とメディアが発想を変えられないからです。(ついでに文部科学省も)

 高度経済成長はとっくの昔に終わり、パラダイムはとうの昔に組み替えられて当然なのにそれをやらないで一番考えなければならない若者をそのほうが政治しやすいからという理由で政治的無関心な状態にわざと放置している、つまり近代化達成以降の発想を持たない、持たせない、『頭のいい』人たちが、『なめられる』日本を作っているのですよ、石原さん、あなたもその1人です。

 日本は他国に対して1発の銃弾も撃たないで、戦後ずっと努力し続け、空前の繁栄を築いた。世界中の人の憧れだった、尊敬の的だった時代だってあったわけでしょう(今だって、日本が好き、という人は世界中におおぜいいる。どこの国のどういう層が日本を『なめている』のか石原は明らかにするべきだ)。手元に資料がないので詳しい日付はわからないけど、1980年代の限りなく終わり近く、アイスランドはレイキャビクというところで、当時のアメリカ大統領(レーガンだっけ?)とゴルバチョフが会談をしている。その際にソビエトの大統領は、「20世紀、もっとも経済的成功を収めたのは日本だ」と、はっきり発言している。全世界は日本を目指すべきだ、見習うべきだ、と言った。

 すべての日本人はゴルバチョフの言葉を忘れちゃいけない。

 世界のどこからも、「それは違うぞ」という声は聞こえてこなかった。つまり、ゴルバチョフのその感想は、正当だったと言うことだ。

 日本はまちがいなく、尊敬と憧れの的だった。そのとき、軍備を持っていたか? 憲法はどうなっていた? 交戦権は? 自衛隊の予算は、今よりずっと少なかったはずだ。なのに、日本に対する世界の視線は賞賛と尊敬のそれだったじゃないか。

 忘れたふりをしちゃいけない。

 石原の言うのとは逆で、軍備をもたず、せっせと働いて金をため、どっかの国のように威嚇して資源を取ってくるのではなく、また意図的に同じアフリカの人同士で戦わせて混乱させるなんて汚らしいことをしないで、正当に、市場価格で、原油でも鉱石でも、買ってくることが出来たからだ。軍隊を持たないでも、働けば国家経済が伸張するということを国内外に示していたからだ。それを可能にしたのは私の父や母の世代の人々の血のにじむような努力だが、その人たちは誰一人戦争したいなんて思わなかった。働けば市場価格で欲しいものが買えるという、ものすごく単純なことに理性を働かせるその態度が謙虚だったからだ。

 石原さん、あなたは意識なんてしていないだろうが、あなたの「軍備がないからなめられる」発言は、単なる勘違いじゃない、ソビエトの大統領が正当に賞賛する全世界の尊敬の的である国を営々とつくってこられた世代の人々への、許せない侮辱だ。

 今、私は怒っている。当たり前だろう、自分の父を侮辱されて怒らない人はいない。

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