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2012年11月30日 (金)

君が好きだ

 なおも日本語について考えてみることにしました。

 「お茶が入りました」は金谷先生の重要な指摘ですが、「私があなたにお茶を淹れた」という表現をたくみに和らげる、言い換えれば話者の意識化を巧みに回避するすばらしい表現でしょう。

 同じ論で金谷先生が指摘されている「君が好きだ」について。英語でI love you、中国語で我愛ニィ(字が日本語にない)ですが、日本語で「私は君を愛す」とは絶対に言わない。「君が好きだ」という。目的語と述語が存在し主語はない。

 君が好きだ。

 誰が、「君」を好きなのか? 言うまでもなく話者である「私」だが日本のすべての求愛者は「私」だとは言わない。ただ、君が好きだと言う。

 日本人は、愛するということさえも含めて行為はすべからく暴力的だと思っているのだろう。日本人はじっと目を見ない。「ガンをつける」といってそれはケンカを売ることになる。日本人はじっと相手を待たない。じっと1時間待ったくせに、相手が来ると「いやいや今来たとこ」なんていう。「私」の「行為」が相手の肉体やマインドにきりきり食い込むようなそんな表現はしない。

 君が好きだ。

 好きなのは自分だ、それ以外にない。しかし主語を言わない日本語のもとでは、私を含む全世界があなたを愛しているように表現される。あなたは全世界から愛される美質を持つ。誰があなたを好きか? 特定できない、全世界の価値探索者があなたを好きだと言っているのだ。主語を発しないで愛を語るとそれは限りなく自然発生的なやむにやまれぬ当然の行為となる。全世界と共感して私は今あなたを愛している。

 主語を使うと?

 私があなたを好きだ。

 私はあなたを好きだ。

 ニュアンスは違うが、私以外の主体はあなたを愛さない、とも受け取れる。「あなたは来てくれるんでしょう?」というと、『他の人が来なくても』という意味をすでに含んでいる。つまり全世界との違和が行動の中にすでに入り込んでいる。「あなたが来てくれるんでしょう?」というと、『他の人を押しのけてあなたが来てね』と彼女は要請している。主語をともなって動詞が使われるときその暴力性はいっそう際立つ。私があなたにお茶を淹れました。他の人はあなたにお茶を淹れたりしない。あなたは全世界とではなく私と、関係を持っている。それはすでに一つの脅迫である。お茶が入りました。行為者としての『私』はいったん引っ込む。奥ゆかしく、日本語が巧みに作り出した話者の仮説化というカーテンの裏に入り込む。あなたにお茶を淹れたのは全世界かもしれない。あなたは全世界が自然可能的にお茶を淹れるに足る、すばらしい人かもしれない。お茶が入りました。どこにも暴力の影は差さない。お茶は人間ではなく、ル・クレジオが言ったように『盲目』だからだ。まぁそもそもお茶は主語ではないけど。

 君が好きだ。

 シンプルな日本語でありますが、かみ締めたい響きであります。

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