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2012年10月 4日 (木)

中国でも芥川賞作品を読むことが出来ました

 M先生から、芥川賞の発表のあった文芸春秋の9月号を拝借できた。なんとかいう女流作家の「冥土めぐり」である。奇怪な要求を繰り出す元スチュワーデスの母、金銭感覚が破綻しているニートの弟、両方からいいように人生を剥奪された女がごくごく地味な区役所職員と結婚、上の二人から「どうして金持ちと結婚して自分達の生活を楽にしてくれない」とひどくなじられる。夫も非常に苦しむが、その夫は結婚後あっというまに脳の病気を発症し、障害年金で暮らすことになる。語り手はある日、母が過去の栄光の象徴のように語っていた「こだまで行く高級リゾートホテル」への1泊旅行を思いつく。夫は子どものようにはしゃぐが、語り手に感謝することはない。しかし夫は旅のさなかに出会うすべての人から愛され、気遣われ、自身は天使のように無垢な笑顔で周囲を、語り手を、いやす。

 夫の脳病発症で経済的に母と弟を支えることはできなくなった、あきれた弟は引き続き浪費を繰り返しながらももう語り手を殴ったりしない。自分のおだやかな未来を、旅の終わりに語り手は発見し、展望し、小説は終わる。題名の「冥土めぐり」の意味はついにわからない。そういえば出発時は、「語り手はこの脳病の夫と懐かしい元高級だったリゾートホテルで無理心中でもするんだろうなぁ」と思わせる効果が、題名にはあったのかもしれない。しかし十代前半は修道女にあこがれました、という厳格なキリスト教徒である彼女はそんな小説なんか書かないのだ。

 読み終えて。

 なにそれ。

 110枚の小説だから、登場人物の変貌とか世界観の構築あるいは変容とか、そんなものは書けなかっただろう、でも、ほとんど発狂していると言っていい母と弟からの暴力的(即物的暴力を含む)要求に決して反抗も逆襲も対策の構築もしなかった1人の女が、夫の脳病発症でほそぼそとした障害年金暮らしに移って、それで障害ゆえに周囲に愛される夫の笑顔を見て、「癒される」?

 なんだこの不気味なエンディングは。作者は何か、それこそ消せないトラウマを持ち、全世界に向けて復讐する事は難しいからとりあえず読者を苦しめようとした、のか? 明らかに無垢な脳病発症者よりゾンビのように語り手の前に立ちはだかり両手を広げて金を要求し必要な金が得られないと罵倒と殴打をいつまでも繰り返す肉親のほうが対処の難しい難題である、それはわかる。しかし全く戦わない、その意味では自分も生活・性格破綻者といっていい語り手の救済が、まったく偶然の、天から降ってきたような脳病なのか?

 いや、人生にはそういうことだってあるだろう、実人生ってそういうもんだよ、と言われればそうかもしれない。この私(中)だって自分の実力じゃない単なる偶然のおかげで、61年の平安を全うした。(まだ死ぬ予定はないが)しかしこれは小説だろう、虚構の構築だろう、力ない現実をなぞってどうする。で? 芥川賞? 村上龍だけが受賞に積極的に反対?

 そっかぁ、間もなく終わる芥川賞かぁ。これでいいのかぁ。文学賞って、朝吹真理子さんの「きことわ」をのぞいてここ10年、ずっと美術性、芸術性を排した「冗談」だったもんなぁ。

 やがて消え行く芥川賞に、合掌。あ、韻をふんでら。

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コメント

僕は恥ずかしい話ですけど、実は将来は小説家になりたいと思っています。
自分でも何度か書いたことはありますが、(小説と呼べるかどうかはまた別のお話)たまーに、忠実に、現実的に考えなくて良いとこまで考えてしまって、お話のバランスを崩してしまうことがあります。

そして密かに授業中にノートの端に思いついたアイデアを片っ端からメモをしているのはここだけの話です。

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