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2012年10月12日 (金)

莫言氏が受賞した意義、村上春樹氏が授業しなかった『意義』

 言うも恥ずかしい当たり前のことですけど、ノーベル賞を誰に与えるか、誰に与えないか、というのは、とりわけ平和賞と文学賞に関する限り、政治的なメッセージであります。

 権力によって投獄された経験のある(あるいは、現在獄中にある)人物にノーベル財団が授賞意義を見出したとしたら、それは彼を(彼女を)投獄した「権力」への立派な敵対行為です。

 チベットからインドへ亡命した高僧、国内で最高権力を持つ政治パーティーに歯向かう世界観を描き出してきた作家、そのような人々がノーベル賞を受けるとき、そこには周到に計算された西側社会の戦略(と、言ってかまわないと思う)があったということです。

 私は、今回の「紅いコーリャン」の作者の栄誉を素直によろこび(自分が今、中国にいるということも少しはあって)村上春樹氏でなくてよかった、と乱暴なことを考えている、そういうものであります。

 何人かの黒竜江東方学院の生徒に聞いてみましたが、莫言氏の名前を今回の受賞ニュースで初めて知った、という人もいました。映画は見ましたが小説は読んでいません、という人もいました。私によく文学事情について質問や世間話のメールをくれる黒龍江省出身で遼寧省の大学に通う女子大生は、「中国人が受賞したのは嬉しいが私は村上春樹作品は全部読んでいて莫言氏の作品を知らない、愛好する日本の作家か受賞できなかった残念と中国人としての喜び、私は今複雑です」と書いてきました。もっともなことだと思います。

 たまたま本屋さんが本学に移動販売で来たので、寄ってみました。莫言氏の作品はありませんでしたが、1Q84はありました。村上作品はすべて、中文訳されております。

 若い人の人気はこの2人の作家において比べるべくもないようですけど、そういうことが授賞対象を選出する基準になるわけではないようなのであります。といって、ノーベル文学賞受賞者選出を政治的行為だと言ったところで私はその権威を疑問視しているわけではありません。川端康成みたいに政治的には毒にも薬にもならない人物が受賞した1960年代終わりはまだ冷戦中だったからかもしれないし、大江の時はアメリカの大統領がクリントンに代わり、世界でもっとも軽率に軍隊を動かすアメリカという国がようやく路線の見直しに着手した時代と一致する。(次の大統領ですべては元に戻るが)

 いずれにしても政治的行為だ。

 村上春樹が受賞しなくて良かった、私は村上をけなしているのではない逆だ、私はもちろんすべての作品を読んでいる。そして深く感動を味わい、敬愛している。「ノルウェイの森」なんか文芸本で、文庫本で、何度読んだか知れない。そして、受賞しないのが大作家だとも言っていない、莫言氏も立派な作家だと思う。ノーベル財団は世界のバランスのために莫言氏を受賞者に選んだ。それで作品の社会的意義に影響が及ばないとしたら、それこそ大作家だと思う。(だから私は、『雨の木を聞く女たち』を最後に大江の作品は読まない)

 ノーベル財団が村上春樹を「選ばなかった」、そこに見識があり、村上氏の作品の意義があると、思うのであります。

 たまたま部屋に来てくれた3年生女子と一緒に、この人の小説を読みました。

 「只聴個開頭、就能一口説出這是雅納切克《小交響曲》的人、世間究竟有多少? 恐怕在『非常少』和『畿乎没有』之間。不知為何、青豆居然作到了。」

 ……その曲の最初を少し聴いただけでヤナーチェクの小交響曲だとわかる人が、世界にどれほどいるだろう。恐らく、『非常に少ない』と『ほとんどいない』の間だろう。しかしなぜだかわからないが、青豆にはわかったのだ。

 なんか字を見ていると、気持ちが良くなってくる小説ですね、と彼女は言いました。政治的に無垢な女子大生を気持ちよくさせる力を、今回は、政治的メッセージに利用しようとはしなかった、ノーベル財団えらい、村上春樹氏えらい、のであります。

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コメント

あまり本を読まない僕にとってはこの話題はテレビで報道される度に
やっぱり誰か好きな作家の一人や二人はいた方がいいのか??
っと焦りにも似た感情がふつふつと沸騰します。
沸騰した泡が弾ける度により一層感情が高まるのはここだけの話です。


さてさて、明日には中学生の体験入学があります。
なんと2時間授業を受けるだけで月曜日が休みになるみたいです。
生徒からすると嬉しいことこのうえないです。

先程、そのことについて考えていると、ふと自分が中学の頃、砂川高校の授業を見に来た時、
先生の授業が一番印象的だったことを思い出しました。
あの時はこの学校に入ればあの先生の国語の授業が受けられるのかもしれない。とワクワクしました。
しかしあまりにも神様は残酷で僕は先生の授業は受けられませんでした。けれど、先生が一度だけ授業してくれたことがありましたね。あの時には神様に感謝しました(笑)

もう1年砂川高校に来るのが早ければ、、などと考えてしまいます。
それほどに僕にとって先生の授業は憧れでした。
とても悔やまれます。

長々と申し訳ないです。

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