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2012年10月14日 (日)

友達とは何か……映画「バベル」が本当に言いたかったこと

 DEVILさん思い出しました。友達とは何か。……そうすると3年生の現代文かぁ。わりに長い間、留まっていてくれた人がいました。その人がDEVILさんだったか、あるいはいったん出て行ってまた戻ってきた人もいましたが、どちらが……。

 いずれにしてももう3年も前ですねぇ。なつかしいです、

 お書きの作家さんは不勉強で私は知りません。自分が大事だと思う作家がいること、それはすばらしいことです。それが偏っているのは当然です。偏った作家の偏った文体を愛好することで私たちは偏っているじぶんという個性のバランスを取っています。

 ところで、土曜日は1年生の生徒が5人、私の作ったカレーを食べにきてくれました。1人の生徒のおばさんが日本人と結婚して長野におり、カレールーを作る工場で働いているということで、そのルーを1箱プレゼントしてくれたのです、そのお返しに、10人前のカレーを私が作ってふるまったというわけです。

 彼女達は一様に、おいしい、おいしいと言って食べてくれました。こちらでは咖哩蓋飯(ガーリーガイファン)ですが、相当に見かけも味も違います。日本人のカレーは初めてだったかもしれません。

 食事後、日本語のこと、中国語のことを話題にし、一緒に謝テイ(雨かんむりの下に廷)鋒の『黄色人種』を歌って盛り上がりました。1年生ですからまだまだ日本語は話せません。私も中国語は話せません。英語の力は5人でかなり差があります。

 そんなことしなくていい、というのに、彼女らは協力し、ものすごく綺麗に食器を洗い、拭き、台所をピカピカにして帰っていきました。

 考えました。ある映画を思い出したのです。

 映画「バベル」が本当に言いたかったことは?

 昔、人間が天に届く高さの塔を建築しようとした。神が怒り、人間の力を弱めようとした。国ごとに違う言葉にかえてしまい、コミュニケーションを不全にしたのだ。結果、人間は異国との交流の際、非常な困難に直面することになった。分かり合えないからいがみ合い、協力して何かを試みることをやめ……。

 それは、実は逆ではないか?

 名作映画「バベル」は、違うことを言おうとしたのではないか? たしかにモロッコ、アメリカ、メキシコ、日本と、言葉は全部違う。しかし人々は何とか分かり合おうとし、不幸を回避するためにギリギリの努力をしたではないか。

 コミュニケーションというのは、同じ言葉で「分かり合う」、「分かり合ったと安心する」、それとは対極にある人間の努力、そのものではなかったのか? 通じた、よかった、と思うことは実はコミュニケーションではない、今自分が言ったことは通じたのかどうなのか、自分は相手の言ったことを何パーセント理解したのか、誠実に、死ぬまで悩みぬくこと、それを「コミュニケーション」というのではないか?

 日本人は基本的に同じ言葉で話す。それなら、なんで巨大メディアと政治で、政治と国民で、国民の内部で、家族の内部ですら、これほどの壮大なコミュニケーション不全が生じているのか? 言葉が同じ世界の許で、わかりあうためにギリギリの努力を放棄する許で、実は私たちは神の罰を受けていたのではないか?

 ……と、いつものようにひねくれたことを考えていたのでした。

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